オーストラリアで働く②
ワーキングホリデーでバイトを探す方法。
(2001年当時)
何箇所かある日本人向け情報センターに行ってそこの求人広告をチェックする。
前回のお土産屋もそれで見つけた。
個人の雇い主が多いかな。
あとは月一回発行される日本人向けフリーペーパーに求人欄がある。たいてい寿司屋や居酒屋の従業員か多い。夜の仕事もあった。時給めちゃくちゃいい。向いてないのでやらなかったけど。
肉体労働かぁ。
あまり気乗りしない私。
お土産物で懲りている。
個人事業はどんな職場かわからないし、ブラックな可能性も高いから。
そこで、何を思ったか。
私は自分を売り込む作戦に出る。
住んでいたフラットはお洒落なストリートにある南米の雑貨屋の2階だった。
そのストリート中の店に自分の履歴書を配り歩いた。
今でもなんであんな勇気あることしたのかさっぱりわからない。笑
ま、だめでもともと〜♪みたいな気持ちだった。
結構配ったけど、受け取ってくれた所も少ないし色よい感じもあまりなかった。
そりゃそうだよね。
何の特殊能力もない何処の馬の骨かわからない日本人の小娘(29歳だったけど)を雇おうなんて思わないな、普通。
連絡はしばらくなかった。
ま、ないだろうな〜と思っていた。
月日が過ぎていって、ある日よく行っていた日本人向け情報センターの仕事をやらないか?と誘ってもらえた。前任者が辞めるから、と。
コレはラッキーだった。
そういう事務系の仕事って滅多にない。
私は二つ返事で承諾した。
そこでの仕事、楽しかったなぁ。
スタッフが良くて、仲良く和気藹々として
仕事しているというより、遊びに行ってた。
本当にいい時間でした。
そしたら、不思議なことにね〜。
同じタイミングで電話かかってきた。
最初は何言ってるかわからなかった。
なんだか写真屋の人が面接に来てくれって言ってるようだ。
しばらく考えてハタと思い出す。
あぁ、私が配り歩いた履歴書を見て電話してくれたのか!
うわ〜!嬉しい!
でも私は仕事が決まった直後だったので断った。
あら、残念〜とその人は言ってくれた。
そこは完全に現地の店だから、もしそこで働いていたらとてもいい経験と勉強になったかも。
英語のレベルも上がるし、現地の生活がわかるだろう。
でもお土産屋での苦い体験があったのと、
面接を受けても受からない可能性はあるし、
せっかく得た貴重な仕事は失いたくなかった。
どんな仕事だったのかなぁ、と今でも思う。
ダメでもトライしてみるっていいね!
ダメって決めてるの自分だからね!笑