向き合う勇気
大学生の頃。
ひどい焦燥感にかられた事があった。
とにかく、居ても立っても居られない。
焦りと不安でおかしくなりそうだった。
コレといって理由があるわけでもない。
何か問題に悩まされているわけでもない。
それなのに何故こんなにも心がざわめくのか。
さっぱりわからないだけに、余計不安になってくる。
なぜか仲の良い友人にも話せない。
理由がわからないわけだし。
たぶん話してもわかってもらえないだろうという確信だけはあった。
親にも話せない。
小さい頃から親に悩みなんて話してなかった。
誰にも言えず悶々としていたが、
ついにとにかく話してみよう!
と思い当たった人がいた。
それはラテン語の女性の教授。
かなりのおばちゃんで、美人とかカッコいいとかでは全然なくて、見かけは普通。
だけどこの人のラテン語は面白くて、淡々とした感じが私は好きだった。
特に可愛がってもらったわけではなく、
面識があるわけでもなく、私のことすらそれほど知らないだろうとわかってはいたが何故か私はこの教授の部屋のドアを叩いた。
部屋に入って、焦った顔をして、
先生!あの!
という私に教授が放った一言。
どうしたの?妊娠したの⁉︎
わ〜。違います〜笑
だいたいそんな顔して入ってくる生徒はそう言うのよ!との事。笑
私はとにかく説明してみた。
なんだかわからないけどすごく焦って不安なこと。回りのみんなはそんな様子もなく、普通に学生生活を送っているし、自分がおかしくなったんではないかと思っていることなどを。
それが、普通よ。
教授は私にそう言ってくれた。
え?と、いうことは。
私が普通ってことは、みんなが普通じゃないってこと?
昔はね、あなたみたいな生徒がたくさんいたんだけどね〜。
同じ部屋のもう1人の女性教授(この先生のことも私は好きだった)も、一緒に会話に加わり相談に乗ってくれた。
何を話してどんなアドバイスをもらったか、詳しいことは忘れてしまった。
けれどあの時、自分がおかしいわけではないと言われただけで私の焦りはほとんど治ってしまった。
回りの友人やクラスメイトだって、それぞれ焦りや不安や悩みはあるだろう。ただそれを見せないようにしているだけなのかも知れない。
私はそこら辺がちょっとバカで正直過ぎたのかも知れない。
けれどそれは今もあまり変わっていない。
自分の心に嘘をつけない。
そうして、こうやって今でも立ち止まり焦り不安に押しつぶされそうになる時もなんとか踏みとどまって思い出す。
あの時、教授のドアを叩いた勇気と
自分には目を背けられない純粋さがあって、
だからこそ深く悩んだり焦ったりする。
それは決して悪いことではない。
人生を大切にしているから、
なんじゃないかと。